「妻恋神社」の日本武尊と弟橘姫命の哀しくも深い愛の物語。妻恋坂にひっそり鎮座するお社は恋愛成就や縁結び、「吉夢(よいゆめ)」にもご利益がありそうです。

気になるスポット

お茶の水駅を出たら聖橋を渡り、真っ直ぐ進みます。湯島聖堂前交差点、清水坂下交差点を越え最初の路地(妻恋坂)を右に曲がった所に「妻恋神社」はあります。

創建は定かではありませんが、「古事記」や「日本書紀」に登場する日本武尊(やまとたけるのみこと)と、その妃(きさき)であった弟橘姫命(おとたちばなひめのみこと)の、哀しくも深い愛の物語に由来する神社です。

体格と武力に優れた日本武尊は、父である第12代天皇 景行天皇(けいこうてんのう)に命ぜられ、当時の日本を統一するために、西へ東へと各地へおもむきます。

東国で荒ぶる神や、賊(ぞく)の平定への旅で、今の東京湾を船で房総(千葉)方面に渡る時に暴風雨にみまわれ、船が沈みそうになりました。

同行していた妃・橘姫命は、海の神を鎮めるため、相模で自分を守ってくれた夫への想いを込め「さねさし相模の小野に燃ゆる火の火中に立ちて問ひし君はも」と歌を詠んで、夫の身代わりとして海に身を投げたのです。

やがて海は鎮まり、夫・日本武尊は無事に房総へと上陸し東国の平定することが出来ました。

帰路、上総の国「碓日嶺(碓氷峠)」に登り東南の方を眺め、亡き橘姫命を想い偲んで「吾妻者耶(あづまはや)=ああ、我妻よ!」と嘆いたそうです。この「あづまはや」から、関東のことを「あづ(ず)ま」と呼ぶようになったとも。

東国の平定の際に、日本武尊はここ湯島に滞在していたことから、郷の人々は、日本武尊が橘姫命を慕う心をあわれんで二人を祀りました。それがこの「妻恋神社」の始まりと言われています。

ここ湯島は「聖なる水際の地」という意味があるとも言われ、遠い昔には低地で稲作が行われていました。その五穀豊穣を願うために、倉稲魂命(うかのみたまのみこと)を祀った「妻恋稲荷」のお社も、境内にあります。

江戸時代には、妻恋神社では、正月二日の晩に枕の下に敷いて寝ると、良い夢が見られるという「福寿鶴亀」と「七福神の乗合宝船」の木版刷りの「夢枕」という縁起物が売られていて人気を博していたそうです。1977年(昭和52年)その版木が偶然にも見つかり一時期頒布されました。

いまは、2011年(平成23年)の東日本大震災によって崩壊した本殿屋根が、多くの奉賛によって修復された復興祈願の気運から、2013年(平成25年)に奉納された日本画を元にした、おめでたい「宝船」と、七福神が乗った「七福神宝船」が描かれた「吉夢(よいゆめ)」が頒布されています。

妻恋坂にひっそりと鎮座するお社「妻恋神社」は、日本武尊と弟橘姫命の哀しくも深い愛の物語に由来する神社。それだけに恋愛成就や縁結びにもご利益がありそうです。また「吉夢(よいゆめ)」が配られる何とも縁起が良い神社。

 

妻恋神社
〒113-0034 東京都文京区湯島3丁目2−6