江戸・東京の総鎮守「神田明神」は730年(天平2年)創建。1000年を超える歴史を感じながら詣でます。

気になるスポット

「神田明神」は江戸、東京の総鎮守として1000年を優に超える歴史を持つ神社です。正式名称は明治時代に神田神社と改称されていますが、やはり明神様、“神田明神”の方が通りが良く、しっくりきます。


表参道の鳥居をくぐります。鳥居と奥に見える隨神門と、その先の御社殿は参拝者に配慮し、直線上に配置されていません。つまり神田明神のお参りの際は、神様の通り道を侵さないようにと端を歩かなくても大丈夫ということです。


■隨神門
1975年(昭和50年)に昭和天皇御即位50年の記念事業として再建されました。総ヒノキの入母屋造りの二層建てです。屋根は銅板の瓦葺きで、随所に伝統的かつオリジナルの、文様や彫刻があしらわれています。孔雀、白虎、青龍、玄武の四神、大黒様の神話でも有名な「因幡の白兎」、平将門に由来する二層目の金色の繋ぎ馬など、見所にことかきません。


神田明神の創建は730年(天平2年)。出雲の大己貴命(おおなむちのみこと)こと“大黒様”を、子孫である真神田臣(まかんだおみ)が武蔵国豊島郡芝崎村(現在の東京都千代田区大手町・将門塚周辺)で祀ったのが始まりとされます。ここ神田という地名は、真神田臣の“神田”が由来との一説もあります。その後、平将門の墳墓の周辺で様々な災いが起きたのを鎮めるために、将門をこれに合祀し祀りはじめます。


戦国時代には、太田道灌や北条氏綱など名だたる武将たちが手厚く崇敬します。1600年(慶長5年)には、関ヶ原の戦いに勝つべく、徳川家康が戦勝の御祈祷を行なっています。結果、9月15日、神田祭の日に見事に勝利し、以降、将軍家はこれを縁起の良い祭礼とし絶やさぬよう命じました。


■狛犬
狛犬は、神社を守り、神様の使いとして邪気を払う役割を持ちます。神社に向かって左右に鎮座する「狛犬」は、本来は左を狛犬、右を獅子と言うそうです。神田明神の狛犬が特徴的なのは、正面を向いていること。動物彫刻を得意とした池田勇八氏が原型を製作した、リアルで凛々しい姿も相まって、まさしく守護という佇まいです。

徳川家康が江戸に入府し、江戸幕府が尊崇する神社となった「神田明神」は1616年(元和2年)、江戸城の表鬼門を守護するため、社地を現在の地に遷座、社殿を新たに造営します。そのころには、江戸の庶民から将軍にいたるまでの篤い信仰を集め、人々と江戸を守護しました。


■御社殿(国登録有形文化財)
1923年(大正12年)の関東大震災で社殿を焼失してしまいますが、1934年(昭和9年)には、この鉄骨・鉄筋コンクリートで総朱漆塗の流麗な社殿を再建します。近代神社建築や都市建築を代表する建築家により設計され、鉄筋コンクリート造だということを感じさせない工夫が随所に施されました。

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この鉄骨・鉄筋造が功を奏し、第二次世界大戦の戦災にもわずかな損傷で耐え抜いたのです。江戸開府400年記念の2003年(平成15年)、国登録有形文化財に登録されました。

こうした長い歴史の中で培われた、その篤い信仰は現代まで続き、今では東京の神田、日本橋、秋葉原、大手町・丸ノ内など、その氏子町は108にも及びます。東京の中でも、素晴らしい江戸の文化を脈々と受け継ぎつつも、最先端の発展を続けるエリアばかりです。


何度訪れても感じる事なのですが、神田明神の隨神門から御社殿に至る、この広々としていて、空がひろがる空間は、天候に関わらずどんな時も、そこに立てばハレなのです。不思議な気分です。もしや、江戸時代から誰しもが密かに感じていることかも知れません。

まだまだ、見所いっぱいの神田明神

■文化交流館(神田明神ホール)
文化交流館(神田明神ホール)は、日本の文化を発信する場所として、2018年(平成30年)12月15日にオープンしました。建物は地下一階地上四階建てで、イベント、コンサート、各種式典、パーティなどが行えるイベントホールと、EDOCCO(EDO Culture Complex)を冠にショップ「みやげ小路」やカフェ「いなせ茶屋」なども併設した、粋な施設・空間になっています。


■獅子山
夫婦二頭の親獅子が、子獅子を谷底に突き落とし、這い上がってきた子を我が子とするという、能の出し物「石橋(しゃっきょう)」を表現したものです。


可愛い我が子に試練を与えるたとえとされています。親獅子は江戸幕末期に製作されたもので、子獅子は関東大震災で紛失し新調したものです。


■えびす様尊像
えびす様と言えば、商売繁昌の神様。東京駅に設置された4代目「銀の鈴」の作者でもある、東京芸術大学学長であり金属工芸家の宮田亮平(みやたりょうへい)氏の作品です。

東京駅グランスタの待ち合わせ場所「銀の鈴」。作者は神田明神のえびす様と同じ、イルカが大好きな宮田亮平氏。
東京駅の「銀の鈴」には、神田明神の「えびす様」と同じようなメッセージが込められているのではないでしょうか。「銀の鈴」のイルカを見ながら、じっくり作品を鑑賞すれば、待ち合わせで誰かを待つ時間もあっという間かもしれませんよ。

少彦名命(すくなひこなのみこと)=えびす様は『木の実の舟に乗って海の彼方からやって来た小さな神様です。〜イルカやタイ•ヒラメに守られて、大海原をわたる姿を制作しました。』とあります。2005年(平成17年)5月の作品です。豊かな繁栄の神・知恵の神〜だいこく様と力をあわせて国造りをなされ、医薬の道や酒造りを人々に教えました。』ともあります。


■だいこく様尊像
出雲大社のご祭神でもある、大己貴命(おおなむちのみこと)こと“大黒様”です。大国主命(おおくにぬしのみこと)の呼び名の方が有名かもしれません。縁結び、医薬・医療、国造りの神様です。高さ6.6メートル、重さ30トンの石像で、1976年(昭和51年)日本一の大黒像として建立されました。


■銭形平次の碑
平次親分と子分のがらっ八の物語、野村胡堂(1882〜1963年)の名作「銭形平次捕物控」の碑。神田明神下台所町の長屋周辺が舞台でした。383編27年間に及ぶ名作の碑は1970年(昭和45年)、ここ明神下を見守る神田明神に建てられまさした。がらっ八の小さな碑も隣にありますよ。


■神田明神「男坂」
写真の向こうが秋葉原方面。いわゆる明神下。ビルの階数にして4〜5Fほどの高低差12.8mの階段ですが、秋葉原と御茶ノ水ではこんなに標高差があるんです。“男坂”と呼ばれるようになったのは明治時代以降のことで、それまでの江戸期には「明神石坂」と呼ばれていました。そのころには高い建物などはありませんから、茶屋もあって大変良い眺望で知られた名所でした。


対して「明神女坂(女坂)」は、神田明神の記述にもあるとおり神田明神裏参道のことです。坂のホテル トレティオにある坂が“女坂”と言われることもあるようですが、参道や境内に接していないことなどからこれは違うようです。えっちらおっちら、ハァハァ言いながら坂を登り降りするのは意外と楽しいものです。

 

神田神社(神田明神)
〒101-0021 東京都千代田区外神田2丁目16−2

隣接する「宮本公園」は、園内に古民家を移築・改装したカフェ「井政(いまさ)」もある、緑豊かな静かな公園。桜の季節には立派なソメイヨシノがお出迎えしてくれます。

「宮本公園」の立派なソメイヨシノのお出迎えをエア花見でどうぞ。静かにお花見を楽しめる穴場スポットです。
「宮本公園」は、周囲をマンションやビルが取り囲み、表通りからそこに公園があることが分からないような場所。そこには立派な桜の木や梅の木などもあり、ソメイヨシノの開花時期には、静かにお花見を楽しむのにはうってつけの隠れた穴場です。神田明神の前の通りから入った路地、文京区道、蔵前橋通りから、ビルの間の路地を抜け、階段を上がれば何処から入っても見事な桜が出迎えてくれます。

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