神田「八ッ手屋」の甘いタレを纏った天丼は、神田っ子が大正から愛してきた美味しさです。

ごはん

「八ッ手屋(やつでや)」は、神田司町(つかさまち)二丁目にある、1914年(大正3年)に創業した天丼・天重のお店。もう100年以上前から天ぷらを揚げ続けている老舗です。


お店は、東京メトロ丸ノ内線淡路町駅、都営新宿線小川町駅、JR神田駅からもちょうど同じぐらいの距離の一八通り(いちはちどおり)沿いにあります。平日の11〜14時しか営業していないので、良い頃合いを見計らって、お店へと向かいます。

ぼちぼち
ぼちぼち

「一八通り」と言う名は、近くに一八稲荷神社があるからとか、当時この通りに店を出すのは“一か八か”だったからとか、その名の由来は定かではありません。


お店の建物は1956年(昭和31年)に建て替えられた、昭和の典型的な木造看板建築。淡路町、司町界隈は、こうした古い建物が、まだ散見できますが、もう都内ではかなり貴重な存在です。

屋号の「八ッ手屋」とは、祖父と祖母、父と母の手が8つだったから。家族みんなで店を繁盛させようとか、仲良く頑張ろうと考えていたんでしょうね。100年を超えて今なお続く商いを、その名が表しています。2019年現在、この店のご主人は五代目。お店の外に面した窓越しに、天ぷらを揚げ続ける姿が見られます。


お店の引き戸に掲げられたメニューは至ってシンプルです。この値段からも、気取ったところがまるでない、地元、神田っ子が昔から愛してきた庶民的な風情を感じます。


お店に入ったら、先にレジで注文と会計を済ませます。オーダーは「天丼上」税込1,050円(2019年6月時点)です。


席に着くと、暖かい緑茶と、キャベツなどの野菜を一ヶ月塩漬けしたという、少し酸味のある自家製のお新香と、お吸い物が供されます。厨房や店内の雰囲気を楽しみながら天丼を待ちます。


天丼(上)です。
言うことのない想像通りの、旨そうな見た目です。丼に装ったご飯に回しかけられたタレに、イカのかき揚げ、海老が二本、真ん中にいんげんという出で立ちです。きっと、1934年(昭和9年)生まれの先代、金安平八郎氏が語ったと言う「天ぷらは油の温度が命。」を、五代目が引き継いでいるのでしょうね。


揚げたて熱々の天ぷらは、サクサク部分を残しなら、戦後から継ぎ足しされてきた、甘辛いタレを纏っています。甘辛いといっても、見た目の濃さに反して驚くほどあっさりしてます。醤油や砂糖などのカドを感じさせない、柔らかさと、ふくよかさを併せ持った優しい味わいです。旨い…。


その甘く優しいタレを纏った、海老の天ぷらも、イカのかき揚げも、とても美味しいです。衣も油にも、しつこさは微塵もありません。そんな天丼は、ニコニコしながら、あっという間に完食です。

食べ終わって、お茶を飲み干すのを見て、女将さんが笑顔で「もう一杯飲みますか?」と、お茶を勧めてくれました。この満足感は何処からやってくるのでしょう?多分、天丼の味も、店名も、建物も、歴史も、人も…この体験も全部なんでしょうね。ご馳走様でした。

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一丁目の存在しない「神田司町二丁目」という町

江戸時代この界隈は、商人や職人が住む、いくつかの町として栄えていました。その中の一つ、雉子町(きじちょう)には、親子三代で作り上げた「江戸名所図会」で有名な、斉藤月岑(さいとうげっしん)も住んでいました。月岑は雉子町の他、五ケ町の名主をつとめた人でもあります。

そんな町々は、時を経た1935年(昭和10年)、区画整理の際に一つに統合され「司町(つかさまち)」という新しい町名になります。江戸の総鎮守である神田明神の平田盛胤(ひらたもりたね)宮司が、“司”が縁起が良いということで名付けた町名です。

1947年(昭和22年)には、神田区と麹町区が合併して千代田区となり、司町は神田司町一丁目と二丁目になります。さらに1966年(昭和41年)には、神田司町一丁目は、内神田の一丁目と二丁目の一部となってしまい、都合「神田司町二丁目」のみが残ることとなったのです。ただ、住民の町会として「司町一丁目町会」は今でも存続しています。

天ぷら 八ツ手屋
〒101-0048 東京都千代田区神田司町2丁目16

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