夏の涼「あんみつ」を手土産に。浅草「梅園」と、上野「みはし」をテイクアウトします。

おやつ・お土産

「あんみつ(餡蜜)」は、四季を問わず食べられていますが、特に、食べたくなったり、思い浮かべたりするのは、やはり暑い夏の季節が多いのではないでしょうか。都内にも沢山ある、昔からある甘味処でいただく、あんみつや、みつ豆の、甘く涼やかな味わいは格別のものがあります。

そんな有名な甘味処の「あんみつ」も、今では様々な場所に出店してるので、割と手軽に食べることができます。

僕もお気に入りの甲乙つけがたい2つの「あんみつ」を手土産にテイクアウトし、おウチでゆっくりと涼みながら楽しみます。

浅草「梅園(うめぞの)」

浅草の浅草寺には、梅の木が沢山ある別院「梅園院(ばいおんいん)」があり、その一角でその名にあやかり1854年(安政元年)に茶屋として創業したのが「梅園」です。

160年以上も続くあわぜんざいで有名な下町の甘味処のあんみつです。四角い寒天、赤えんどう豆、求肥、みかん、あんず、小豆あん、黒蜜が容器に収められています。

梅園のあんみつは、寒天がたっぷり入っていて、あんずが入っているのが特徴でしょうか。濃厚な黒蜜と餡を混ぜながら食べる寒天と赤えんどう豆のなんと美味しいことか。誰が考えたんでしょうね?

あんみつを最初に販売したのは、銀座のしるこ屋「若松」とも、銀座の蜜豆店「月ヶ瀬」とも言われていますが、いずれにしても1930年代(昭和5年~)に、「みつ豆」に小豆餡を加えて登場した、思いのほか近代の甘味なんです。以来、東京の甘味処にあんみつは広がっていったようです。

上野公園前あんみつ「みはし」

「みはし」は1948年(昭和23年)に上野公園前に創業したあんみつ屋です。屋号は江戸時代、徳川幕府の安泰と民の平安を祈願して建立された「東叡山寛永寺(とうえいざんかんえいじ)」の参道に、不忍池(しのばずのいけ)からの川が横切り3本の橋が架かっていたそうで、この辺りが三橋と呼ばれていたことに由来します。

「みはし」のあんみつは、寒天、赤えんどう豆、求肥、みかん、小豆あん、黒蜜が容器に収められています。寒天は梅園よりも少なめで、小豆餡も黒蜜もさらりとサッパリしているのが特徴です。モッチモチの求肥と、ほっくりした赤えんどう豆が美味しいです。

ちなみに、あんみつの元になった「みつ豆」は、1903年(明治36年)に浅草の「舟和」が売り出したと言われていて、内容は、まさに、あんみつの“あん”の無いもの。寒天、赤えんどう豆、求肥、フルーツという黄金の掛け算レシピは、すでにこの時に完成されていたわけです。

そのルーツは、江戸時代に米の粉である糝粉(しんこ)で作られた舟に、赤えんどう豆を入れて蜜を掛けて売られていた子供用のお菓子なんだそうです。これが「あんみつ」の始まりと言って良さそうですね。「みつまめ」は夏の季語でもあります。

「みつ豆」も「あんみつ」も、ただ冷たいだけじゃなく、寒天の見た目が涼しげなところに、いかにも日本らしい粋を感じます。

“あんみつ”は、暑い夏の日に、喉越しや様々な食感を、黒蜜と餡の甘さとともに楽しむ夏の「涼」です。

●船橋屋の「くず餅入り白玉あんみつ」と「くず餅」

江戸時代に創業した亀戸天神「船橋屋」のモチモチの“くず餅”。きな粉と黒蜜をたっぷりかけて。
亀戸天神の参道にある「船橋屋」は、江戸時代の1805年(文化2年)創業以来、200年以上も“くず餅”にこだわり、作り続けている和菓子屋さんです。なんと450日間も乳酸菌発酵させた小麦澱粉を蒸しあげ、無添加で作られたそれは、わずか消費期限2日間という美味しい逸品です。