誰にでもある「日清カップヌードル」の思い出。例えば夏のプールサイドとか?そんなことを回想しながら味わいます。

ごはん

「日清カップヌードル」の発売は1971年(昭和46年)。1958年(昭和33年)発売の「チキンラーメン」同様、日清食品の創業者である安藤百福(あんどう ももふく)氏が開発した大ヒット商品です。いまでは世界中の人々が食べている超メジャーなカップ麺。

この商品名には何だか特別な響きがあります。1968年(昭和43年)生まれの僕にとっては、振り返れば幼い小学生の頃や、青春真っ只中の高校生の頃の、いくつかの強いイメージや、エモーショナルな当時のCMなどが織りなして脳裏に残っているからだと思います。

とはいっても、その強くもぼんやりしたイメージはとても断片的で、背景にあるストーリーとか経緯などはハッキリとはしていません。切ないような、楽しいような…。記憶が作り上げられたり、混ざってしまっていることもありそうな、何だかそんな想い出です。

そんなことを回想しながら、今一度「日清カップヌードル」を味わってみたいと思います。

ぼちぼち
ぼちぼち

安藤百福(あんどう ももふく)氏が、アメリカに視察に訪れたのは1966年(昭和41年)年。あるスーパーマーケットに「チキンラーメン」を持ち込むと、先方はそれを紙コップに割り入れて、お湯をかけてフォークで食べ始めたそうです。

 

そうアメリカには、そもそも麺をどんぶり入れて箸で食べる文化は無かったからです。それを見てインスピレーションを受けた安藤氏は、カップに麺を入れてフォークで食べられるインスタントラーメンの開発に着手しました。

プールサイドのカップヌードル

一つのイメージは、1968年(昭和43年)生まれの僕が、おそらくは小学校の頃のものだとは思うのですが、流れるプールや波のプールのあるプールサイドにあった「カップヌードル」。

親に連れられて行った何処かのプールサイドで誰かが食べているカップヌードルへの強い憧れです。実際には、僕がそれを食べたのかどうかは定かではありません。とにかく「食べたい。」という記憶。当時の給湯器付きの自動販売機と透明なフォークも覚えています。

醤油スープのい〜い香り♫。具材には海老、たまご、ねぎ、サイコロ状の肉が入っています。いまでは皆に「謎肉」と呼ばれている、美味しく食感も楽しいいサイコロ状のミンチ肉は、カップヌードルには無くてはならないもの。

豚肉のミンチに大豆や野菜などを混ぜ合わせて、フリーズドライ加工したものです。カップヌードルの美味しさは、一度食べたら忘れることは無いでしょう。全てが最高のバランスで作られていて、不思議とまたいつかは食べたくなるのです。

最初は売れ行きが芳しくなかったカップヌードルは、この給湯器付きの自動販売機を、高速道路のサービスエリア、街道沿いの自動販売機コーナー、学校などの休憩所などに置き始めて徐々に売れていくようになったそうです。プールサイドに置かれるようになったのも、この頃なのでしょうか。


その後、爆発的に売れるようになったのは、1972年(昭和47年)に起こったあさま山荘事件で、山荘を包囲する機動隊員がカップヌードルを食べる映像がテレビに繰り返し写り、話題となったことがきっかけでした。

高校の購買部のチリトマト

もう一つのイメージは、高校生の頃のもの。お弁当を持って行かなかった時のお昼に、購買部で買ってよく食べていた「チリトマトヌードル」の美味しかったイメージです。発売が1982年(昭和57年)ですから、ちょうど発売されたばかりの味というわけです。

スパイシーで甘みと酸味のあるスープが夏にピッタリだったように記憶しています。具材のインゲンも良いチョイスでしたね。そのスープを飲みながら山崎ナイススティックや、山崎ミニスナックゴールドを食べるのがド定番でした。

こうして「日清カップヌードル」は、小学生、高校生の頃に、小さくて、どうでもいいような…でも強いイメージを、僕の人生に与えて来たわけです。その合間・隙間にも1973年(昭和48年)発売の「カレーヌードル」や、1984年(昭和59年)発売の「シーフードヌードル」などが僕に付き添って来たような気がします。

僕の中でカップヌードルの美味しさの頂点に立っているのはスタンダードな「日清カップヌードル」。それは歳をとったからでしょうか?そしてその周囲に「カレーヌードル」、「チリトマトヌードル」、「シーフードヌードル」の3つが君臨しています。