駅弁「ますのすし」は、程よい脂が乗った鱒の押し寿司。“源”が1912年から作り続けています。

ごはん

駅弁「ますのすし(一重)」税込1,500円(2019年6月時点)は、源(みなもと)の鱒寿司。富山を代表する名産品の一つです。一度でも食べたことがあれば、ふとした時に思い出して、また無性に食べたくなる、美味しい押し寿司です。

この、お馴染みの“ます”のパッケージデザインは、1965年(昭和40年)に採用された、文化勲章受賞の中川一政画伯(1893年〜1991年)の作品です。

ぼちぼち
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画伯は、洋画、水墨画、版画、陶芸や、和歌に随筆までと、幅広い創作活動を行っていた美術家。当時から“ますのすし”を愛していて、神通川でとれた生の鱒を描いたというエピソードも残っています。

パッケージの中には、蓋を青竹でとめてある曲物(わっぱ)が入っています。この青竹は孟宗竹で、竹林と森の維持・保護のために伐採されたものを使用しています。

蓋を開けると、職人が手作業で敷き詰めた、青々とした熊笹に包まれた、鱒の押し寿司が収められています。熊笹は源が毎年、良質なものを直接仕入れています。

同梱されたプラスチックのナイフで、鱒寿司をケーキのように8つに切り分けます。

 

ぼちぼち
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鱒寿司の起源は、平安時代まで遡ります。それは今のようなものではなく、魚に纏わせたお米を発酵させて作った“なれずし”でした。

江戸時代の1717年(享保2年)、越中富山藩の三代藩主「前田利興(まえだとしおき)」の家臣、吉村新八が、神通川を遡上する鱒と越中米を作った鱒寿司を、八代将軍「徳川吉宗」に献上しました。これが絶賛され、以来、雪深い立山を越えて、毎年、江戸へ送られたそうです。

切り分けた“ますのすし”です。見た目以上に脂がのった鱒は、旨味たっぷりです。

それにマッチする丁度良い酸味の酢飯は、押し寿司らしくギュッとしていますが、お米の美味しさが活きているので、重たくありません。お米は、富山の神通川流域で育ったお米を、自家精米しています。

こだわりが、いっぱい詰まった歴史ある、越中富山の名産「ますのすし」。その歴史を紐解きながら味わうのも楽しいものです。

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鱒寿司を作る「源」の歴史

時は明治時代。富山の中心的繁華街「桜木町(さくらぎちょう)」には、贅を尽くし、一世を風靡した「天人楼」と「日新楼」という料亭がありました。

店の主人はそれぞれ、源金一郎、源松山で、その父は、富山「旅籠町(はたごまち)」で、旅館と紙屋を営んでいた「源梅山(みなもとばいざん)」です。料理や茶に通じる風流な文化人として、富山の文化の発展に寄与した人物です。

「天人楼」の源金一郎は、1900年(明治33年)、同じ桜木町で高級料亭旅館「富山ホテル」を創業します。桜木町一帯を占める、名高いホテルと称されていました。富山ホテルは、1908年(明治41年)、富山市に国鉄北陸本線が開通すると同時に、富山駅での販売業の認可を受けます。

4年後の1912年(明治45年=大正元年)には、駅弁「ますのすし」の販売を開始します。これが現在の「源」の前身です。以来、富山名物として、鱒寿司が全国に広まっていったのです。

ますのすし本舗「源」

ますのすし本舗 源
ますのすし本舗・源は富山名産の鱒寿司を作り100余年、変わらぬおもてなしの心と磨き抜かれた職人の技で、おいしさをご提供することを大切にし、今も変わらず守り続けていきます。北陸・富山のお土産、贈答品各種取りそろえております。

ますのすしミュージアム
〒939-8232
富山県富山市南央町37-6